山口市議会 2020-02-25 令和2年第1回定例会(2日目) 本文 開催日:2020年02月25日
さらに、1372年に渡来した明の趙秩がつくったと言われます山口十境詩の中にも登場するなど、その歴史は室町時代までさかのぼり、江戸時代には長州藩御用の湯治場でございます湯田御茶屋が置かれ、また幕末には維新の志士たちが湯田温泉の地を訪れたという歴史や文化もございます。
さらに、1372年に渡来した明の趙秩がつくったと言われます山口十境詩の中にも登場するなど、その歴史は室町時代までさかのぼり、江戸時代には長州藩御用の湯治場でございます湯田御茶屋が置かれ、また幕末には維新の志士たちが湯田温泉の地を訪れたという歴史や文化もございます。
加えて、湯田温泉のことは、14世紀にこちらにきておりますが、趙秩という人がおります。この趙秩の山口十境詩の中に詠まれております。大内氏の時代にさかのぼって湯治場とされていたことが、このことからもわかります。さらには、白キツネ、白狐伝説にまつわる話として、湯田温泉が湧き出た、湯田温泉湧出が初めて確認されたとき、湧出地から出土した薬師如来像が今日保存されております。
美術面では、中国の画家であり文化人であった趙秩は大内弘世の時代に活躍し、有名な雪舟は29代大内政弘の時代に活躍しております。また、大内氏歴代当主の菩提寺は24代大内弘世から31代義隆までいずれも山口市にあり、義隆は長門の大寧寺にあるように一般に思われておりますが、自害したのは大寧寺でありましたが、菩提寺としては山口市の龍福寺であります。
大内弘世に請われて趙秩は漢詩を歌うわけですが、当時最高の文化人・趙秩の歌に思いを馳せ、有志でつくっておりますふるさと大内塾が「山口十境詩」を詠んだとされる箇所を訪ね、記録することにいたしました。というのも、この歌に歌われている場所が象頭山の周りに多くあることから、この計画は始まりました。
1371年、明国の使節趙秩が詠んだと言われる「十境の詩」、この象頭山の周りに5カ所あります。「象峯の積雪」、大内の川向で冬の情景を詠んでいます。また、「鰐石に雲を生ず」、鰐石町の重岩で春を詠んでいます。「氷上に暑を滌く」、大内氷上の興隆寺に、夏でも涼しい場所を詠んでいます。「南明の秋興」、大内の御堀の乗福寺で秋を詠んでいます。
それから、鰐石の重岩のことでございますが、これは御案内のように、明の趙秩の十境の詩にもあるということで、私も先般もちょっと通りがかりに寄ってみました。これを文化財に指定して管理できないかというような趣旨であったと思いますが、文化財として指定するとすれば、名勝ということになるのではないか。